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酒のうえでの話 (6月17日 20時)
片々に口にするところから推測してみると、とっくに切れてしまったはずのクルベーが、新橋の一芸者を手懐けたとか、遊んでいるとかいうようにも聞こえたし、寄越すはずの金を、小夜子の掛引きでかクルベーの思い違いでか、いずれにしても彼の態度が気にくわぬので、押しかけて行って弾き返されるのが癪だというように聞こえた。
クルベーはまだ十分小夜子に未練をもっていた。彼は今少し何とか景気を盛りかえすまで、麹町の屋敷に止まっているように、くどく彼女に勧説したのであったが、小夜子は七年間の不自然な生活も鼻についていた。クルベーのように、自分を愛してくれたものもなかったが、クルベーほど彼女のわがままを大目に見てくれたものもなかった。若い歌舞伎俳優と媾曳して夜おそく帰って来ると、彼はいつでもバルコニイへ出て、じっと待っているのだった。
「貴女浮気して来ました。いけません。」
美しい大入道のクルベーはさすがに、顔を真赤にして怒っていた。
またある時は、病気にかこつけて、温泉場の旅館で、芳町時代から、関係の断続していた情人と逢っているところへ、いきなりクルベーに来られて、男が洋服を浚って、縁から転がり落ちるようにして庭へ逃げたあとに、時計が遺っていたりした。しかしクルベーは小夜子を憎まなかった。目に余るようなことさえしなければ、彼の目褄を忍んでの、少しばかりの悪戯は大目に見ようと思っていた。彼はその一人子息が、自転車で怪我をして死んでから、本国へ引き揚げる希望もなくなっていた。武器を支那へ売りこもうとして失敗して以来、日本の軍部でも次第に独逸製品を拒むような機運が向いて来た。しかし小夜子が彼の屋敷を出たのには、切れても切れられない関係にあった、長いあいだの男の唆かしにも因るのであった。ようやくクールベから離れて来てみると、裏店へでも潜らない限り、その男とも一緒に行けないことも解って来た。