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目がぐらぐらして (5月26日 14時)
笹村の手に縋って、廊下の方へ出たお銀は、「あなた私もう駄目よ。」と、泣き声を出してじきにそこへ倒れてしまった。
しばらくお銀は運動場へ出て、風に吹かれていた。亜鉛の板敷きに、べったり坐っているお銀は、少しずつ性がついて来た。笹村はじきに外へ連れ出した。
お銀はコートについた埃も払わずに、蒼い顔をして、薬屋を捜した。目にも涙がにじんで、手足が冷えきっていた。
「どうしてこう弱くなったんでしょう。」
呟きながら、川端を歩いているお銀の姿を、笹村は時々振り顧ってみた。「お湯にお入んなすって。」といって毎日毎日刻限になると、栗山から来ているという、行儀のよい小娘が、部屋の入口へ来てにっこりしながら声かけるころには、笹村の頭は何を考えるともなしに萎え疲れていた。沈黙の苦痛に気が変になりそうなこともあったが、やはり部屋を動くのが厭であった。
もう十日の余もいて、町の人の生活状態も解っていたし、宿の人たちのことも按摩などの口から時々に聴き取って、ほぼ明らかになっていた。町の宿屋という宿屋は、日光山へ登る旅客がここを通らなくなってからは、大抵達磨宿のようなものになってしまった。町の裏に繁っていた森も年々に伐り尽されて、痩せ土には米も熟らないのであった。唯一の得意先であった足尾の方へ荷物を運ぶ馬も今は何ほども立たなかった。そのなかでその宿だけは格を崩さずにいた。裏には顕官の来て泊る新築の一構えなどもあった。魚河岸から集金に来ている一人の親方は、そこの広間で毎日土地の芸妓や鼓笛の師匠などを集めて騒いでいた。