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今夜も積もるかな (3月26日 21時)
栄之丞は夕方の空を仰いで、独りごとを言いながらよそ行きの支度をした。今夜は謡いの出稽古の日にあたるので、これから例の堀田原へ出向かなければならなかった。本来は一六の稽古日であるが、この十一日は具足開きのために、三日後の今夜に繰り延べられたのであった。
春とはいっても底冷えのする日で、おまけに雪さえ落ちて来たので、遠くもない堀田原まで行くのさえ気が進まなかったが、約束の稽古日をはずす訳にもゆかないので、栄之丞はいつもよりも早目に夕飯をしまって、一張羅の黒紬の羽織を引っ掛けた。田圃は寒かろうと古い頭巾をかぶった。妹がいなくなってから、独り者の気楽さと不自由さとを一つに味わった彼は、火鉢の火をうずめて、窓を閉めて、雨戸を引き寄せて、雨傘を片手に門を出ようとすると、出合いがしらに呼びかけられた。
「兄さま」
傘も持たないで門に立ったのは妹のお光であった。雪はますます強くなって来たらしく、彼女の総身は雪女のように真っ白に塗られていた。