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温泉もある (4月21日 23時)
山の夢に浸っているようなお島は、直に邪慳な母親のために刺戟されずにはいなかった。以前から善く聴きなれている「業突張」とか「穀潰し」とかいうような辞が、彼女のただれた心の創のうえに、また新しい痛みを与えた。
お島が下谷の方に独身で暮している、父親の従姉にあたる伯母のところに、暫く体をあずけることになったのは、その夏も、もう盆過ぎであった。素は或由緒のある剣客の思いものであったその伯母は、時代がかわってから、さる宮家の御者などに取立られていた良人が、悪い酒癖のために職を罷められて間もなく死んでしまった後は、一人の娘とともに、少ばかり習いこんであった三味線を、近所の娘達に教えなどして暮していたが、今は商売をしている娘の時々の仕送りと、人の賃仕事などで、漸う生きている身の上であった。
昔しを憶いだすごとに、時々口にすることのある酒が、萎えつかれた脈管にまわってくると、爪弾で端唄を口吟みなどする三味線が、火鉢の側の壁にまだ懸っていた。良人であったその剣客の肖像も、煤けたまま梁のうえに掲っていた。
お島は養家を出てから、一二度ここへも顔出しをしたことがあったが、年を取っても身だしなみを忘れぬ伯母の容態などが、荒く育ってきた彼女には厭味に思われた。色の白そうな、口髭や眉や額の生際のくっきりと美しいその良人の礼服姿で撮った肖像が、その家には不似合らしくも思えた。