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油蝉の暑苦しく鳴いている木の下で (4月17日 16時)
わたしは厚く礼を云って僧と別れた。僧の痩せた姿は大きな芭蕉の葉のかげへ隠れて行った。
自己の功名の犠牲として、罪のない藤戸の漁民を惨殺した佐々木盛綱は、忠勇なる鎌倉武士の一人として歴史家に讃美されている。復讐の同盟に加わることを避けて、先君の追福と陰徳とに余生を送った大野九郎兵衛は、不忠なる元禄武士の一人として浄瑠璃の作者にまで筆誅されてしまった。私はもう一度かの僧を呼び止めて、元禄武士に対する彼の詐らざる意見を問い糺して見ようかと思ったが、彼の迷惑を察してやめた。
今度行ってみると、佐々木の墓も大野の墓も旧のままで、大野の墓の花筒には白いつつじが生けてあった。かの若い僧が供えたのではあるまいか。わたしは僧を訪わずに帰ったが、彼の居間らしい所には障子が閉じられて、低い四つ目垣の裾に芍薬が紅く咲いていた。
旅館の門を出て右の小道をはいると、丸い石を列べた七、八段の石段がある。登り降りは余り便利でない。それを登り尽くした丘の上に、大きい薬師堂が東にむかって立っていて、紅白の長い紐を垂れた鰐口が懸かっている。木連格子の前には奉納の絵馬もたくさんに懸かっている。