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山に登った (6月9日 6時)

海中の孤島、黄金山神社のほかには、人家も無い。参詣の者はみな社務所に宿を借るのである。わたしも泊まった。夜が更けると、雨が瀧のように降って来た。山を震わすように雷が鳴った。稲妻が飛んだ。
「この天気では、あしたの船が出るか知ら。」と、わたしは寝ながら考えた。
 これを案じているのは私ばかりではあるまい。今夜この社務所には百五十余人の参詣者が泊まっているという。この人々も同じ思いでこの雨を聴いているのであろうと思った。しかも今日では種々の準備が整っている。海が幾日も暴れて、山中の食料がつきた場合には、対岸の牡鹿半島にむかって合図の鐘を撞くと、半島の南端、鮎川村の忠実なる漁民は、いかなる暴風雨の日でも約二十八丁の山雉の渡しを乗っ切って、必ず救助の船を寄せることになっている。
 こう決まっているから、たとい幾日この島に閉じ籠められても、別に心配することも無い。わたしは平気で寝ていられるのだ。が、昔はどうであったろう。この社の創建は遠い上代のことで、その年時も明らかでないと云う。尤もその頃は牡鹿半島と陸続きであったろうと思われるが、とにかく斯ういう場所を撰んで、神を勧請したという昔の人の聡明に驚かざるを得ない。ここには限らず、古来著名の神社仏閣が多くは風光明媚の地、もしくは山谷嶮峻の地を相して建てられていると云う意味を、今更のようにつくづく感じた。これと同時に、古来人間の信仰の力というものを怖ろしいほどに思い知った。海陸ともに交通不便の昔から年々幾千万の人間は木の葉のような小さい舟に生命を托して、この絶島に信仰の歩みを運んで来たのである。ある場合には十日も二十日も風浪に阻められて、ほとんど流人同様の艱難を嘗めたこともあったろう。ある場合には破船して、千尋の浪の底に葬られたこともあったろう。昔の人はちっともそんなことを怖れなかった。


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